2011年5月22日
『福島県 開拓者精神を今一度』
東北第2位の経済規模を誇る商業都市、郡山市。
福島県の中心に位置し、交通の便も良いことから東北の経済の中心として発展してきました。
ラーメンチェーン店や食料品スーパー、スポーツ用品店など
東日本を中心に大規模展開している企業の本社があり、商業県都とも呼ばれています。
今でこそ市街地も広がり、郡山都市圏と呼ばれるほどになっていますが、
明治の初めころまでは、宿場町を中心に5000人程度が暮らす小さな町で、
周辺は水利が悪く原野が広がっていました。
明治維新における東北の戦後復興策と、各地で反乱を繰り返していた士族対策とを併せ、
国家プロジェクトとして明治12年に安積原野開拓が始まりました。
オランダ人技師ファンドールンの指揮のもと、僅か3年で猪苗代湖から水を引き、
安積疎水を開通させました。
この安積疎水の開削により荒涼とした原野を大穀倉地帯へと変えることができ、
新潟市が合併するまでは米穀生産量日本一を誇るまでになりました。
疎水は水力発電にも利用され、製糸業の発展にも寄与し、
やがて都市を形成していくことになります。
この開拓事業は遠く九州の地から入植した久留米藩の士族が中心となっており、
その痕跡は久留米という町名にも残っています。
日本中から集まった人々により原野が開拓され、東北有数の都市にまで発展した歴史は、
まさしく日本版フロンティアスピリッツとでもいうべきものです。
この先人たちの不屈の精神は、いま私たちが改めて見習うべきものだと思います。
大きな夢を持つこと。
その夢に向かって全力を注ぐこと。
決して諦めないこと。
強い気持ちを持って向かいましょう。
まだまだ困難はありますが、我々も頑張りますので一緒に頑張っていきましょう。