2014年8月13日
長野県 勉強と学び
今回は、「勉強する」ということについて、根本的に考えてみたいと思います。
「勉強しなさい」と言われる。「勉強しなくちゃ」と思う。
なんだか、強制的なイメージがありませんか?
実はそうなのです。「勉強」という言葉自体、「勉める」ことを「強いる(しいる)」と書きます。
「やらなくてはならない」という気持ちの中で行うことが、
自分を苦しめる原因の一つになっていませんか?
ところで、皆さん、「遊ぶ」ことは好きですか?
「勉強」が嫌いでも「遊び」は好き、という人は沢山いるでしょう。
どんな遊びが好きでしょうか?鬼ごっこ、かくれんぼ、ゲーム、サッカー、野球・・・。
「ゲーム」が好きだという人は多いでしょうから、ゲームについて。
徐々に難しくなっていく、レベルが上がっていく。
はじめは慣れなくて、うまくいかないけれど、あれこれ考えて、練習して、上達して先に進んでゆく。
この時に皆さんは「遊んでいる」のに「一生懸命考えて」、「学んで」いることに気付いていますか?
「勉強」しているつもりではないのに、その中にも自然と「考える」という行為があり、「学ぶ」が存在するのです。
しかし、それは強制されている事ではありません。「勉強」だとは思っていません。
自らの意思で進んで取り組んでいることに面白く熱中する中で自然と「学んで」いる。
これが大切です。スポーツも、楽器演奏も、どれもそうです。
「学び」とは必ずしも「苦痛ではない」ということです。
なぞなぞは、好きですか?
パズルやクイズは好きですか?
これらもほとんど数学の問題と変わりません。
形を変えるだけで、印象や受け取り方が変わります。
嫌々向き合うのと、自ら進んで向き合うのとでは、大きな差が出ます。
これが、「学ぶ」ことの極意です。
自ら進んで向き合うためにはどうしたらいいか、トライさんや大人の力も借りて考えてみてください。